体罰と裁判

大阪桜ノ宮高校の「体罰問題」で自殺した生徒の両親が顧問を告訴しましたが、この問題を一個人に責任を押し付けるような裁判をしてはならないと思います。

当事者の顧問は長年の指導方針として「体罰」を教育の有効な手段とし信じてきたのでしょう。
このような指導方針を取ってきたのはこの顧問だけではありません。
日本中のあらゆるスポーツ指導者が多かれ少なかれ「体罰」を是認してきました。
そして指導される方も受け入れてきたはずです。
指導される子供たちの家族も「厳しい指導」を好感を持って眺めてきたはずです。

酷なことを申し上げますが、この両親に顧問を告訴する資格はありません。
日本中の全員が反省しなければならない問題です。
「体罰容認発言」を繰り返してきた橋下市長も同じです。
(以前書いた「橋下市長の体罰観の変化」)

「いじめや暴行など人に迷惑をかける行為」や「法律違反を含むルール破る」など、大人でも「罰」を受けるケースには子供だろうが「処罰」が必要です。これは「躾(しつけ)」であり体罰もありえます。
躾のできない家庭が増え、学校と教師に一層の負担が求められる現状では必要悪でしょう。

ですが「教育」つまり「学問であれスポーツであれ相手を指導して引き上げる」ための行為に一切「処罰」は必要ありません。手が出るのは「指導者の未熟さでしかない」という共通認識を持つべきです。
指導を受ける側が努力をしないのは本人に跳ね返るだけのことで「自ら罰を受ける」だけです。
日本社会における「体罰容認論」は「スパルタ式軍隊教育」の名残です。
「原発と体罰と軍隊」

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