憲法改正論議に 『坂の上の雲』司馬(遼太郎)史観

憲法改正論議がかまびすしいが、
反対派の人々が「日本を戦争する国にするのか?」などと喚き散らすのが実に不思議でしょうがない。
又日本国憲法の改正に何の関係もない韓国が日本の安全保障に口をさしはさむのが馬鹿馬鹿しくてならない。

日露戦争の時代を主に描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み返し始めて今第三巻まで来たところだが、日本が朝鮮半島を併合した時の状況を解説した部分が目にとまったのでちょっと借用します。

【日本が朝鮮にこれほど固執しているというのは、歴史の段階が過ぎた今日、どうにも理不尽で、見ようによっては滑稽にすら見える。問題を洗い晒して本質を露呈させてしまえば、日露の帝国主義の角のつきあいである。日露双方が大英帝国がモデルであるような、そういう近代的な産業国家になろうとし、それにはどうしても植民地が要る。そのためにロシアは満州を欲しがり、植民地のない日本は朝鮮というものに必死にしがみついていた。

十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。後世の人が幻想して侵さず侵されず、人類の平和のみを国是とする国こそ当時のあるべき姿とし、その幻想国家の架空の基準を当時の国家と国際社会に割り込ませて国家のありかたの正邪をきめるというのは、歴史は粘土細工の粘土にすぎなくなる。世界の段階は、すでにそうである。日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。

日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしこれを捨てれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併呑されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった。】

日露戦争時代の話であるが、太平洋戦争の時代に置き換えても、今の時代に置き換えても、それなりに思いが生まれるのでは?

 

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