葉隠(はがくれ)

佐賀鍋島藩の藩士・山本常朝の説いた武士としての心得を書き留めた、「武士道」の解説書『葉隠(はがくれ)』。
詳しく読みとめたわけではありませんが、

「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」

という有名な一節があります。
今の朝日新聞社には、是非この言葉を送りたい。

この言葉を「死を美化し、命をないがしろにするもの」などと解釈する向きにはご遠慮願おう。
昔日の日本の武家社会は、外国人から見ても驚嘆するほど「恥」を恐れる社会でした。

「名誉を重んじた」という言葉では補えないほど、恥をかくこと、特に「家名を穢す」事を畏れたのです。
現在の我々には想像もつかぬ、『家』主体の社会だったのでしょう。個人の命よりも『家名』の方が重かったことは間違いないでしょう。

かといって、日本人が人の命を粗末に扱ったわけではありません。
日本を訪れた西洋人は一様に感嘆しています。

「これほど子供たちが嬉々としてはしゃぎまわっている国は見たことがない」
「日本人ほど、庶民が事あるごとに笑い転げている社会はどこにもない」

そして、夜泣をするこどもをあやすには「亭主が素肌になって子供を抱きしめてやるとよい」
今で言えば『スキンシップ』ですが、日本社会は当時の覇者・西洋が驚くほど命を謳歌してきた先進社会でした。

私は先の言葉を次のように理解しています。

ことに当たって、もし迷うことがあれば「まず早く死ぬる道を選びなさい」
人は間違いを犯す。それはいたし方がないことである。だから迷えば「早く死ぬ道」を選択する。
そうすれば、仮にその道が間違っていたとしても「恥をかくことは少なくなる」
そのような生き方を心がけておれば「家名を傷つけることがない」

『人の命は地球よりも重い』という言葉を文字通り信奉している人々に、『家名』に重きを置く思想は許すことが出来ないだろう。
だが、その思想が、世界が驚嘆する「生を謳歌する文明社会」を築いたことをどう思うのか。
目に見える人命に最も重きを置く『共産思想』が、史上類のない大量虐殺を引き起こしたことをどう思うのか?

左翼思想は明らかに破綻している。
今の朝日新聞の、自己保身にかまけ、自らの過ちを糊塗する浅ましさは見るに耐えない。
彼らの姿勢に、日本文化の高潔さと清廉さは、かけらもみえない。

「人を貶めながら、自らは被害者偽り、相手を責める、猛々しき振る舞い」、この下衆な手法を誰から学んだのか?

もはや朝日新聞に属する人々には何を言っても通じまい。
せめて、市井の我々が、心に刻まなければならない。

「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」

≪命は賜りもので我等自らが作り出したものではない。
命を自らのものと思い違えたまま、無上のものと見なすのは傲慢でしかない。≫

 

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