犯罪のない国を目指して教育(者)改革をしましょう

犯罪者のいない国を作りましょう。
江戸時代から大東亜戦争敗戦までの日本は本当に夢のように犯罪の少ない国だったようです。

戦後経済発展し国力は復活したものの、社会全体としての民度はやはりかつての日本社会より数段劣っているようです。
しかしこの日本を見て世界の人が「日本は犯罪の少ない素晴らしい国である」と賞賛するのですから日本人として気恥ずかしい思いをしてしまいます。
それと同時に海外の社会は一体どうなっていることやらと空恐ろしくもあります。

犯罪者のいない国を復活させましょう。
やはり教育が大事なのですがそれ以前に教育者の質が問題になります。
沖縄の普天間基地に赴いて常軌を逸する「基地反対闘争」を繰り広げている人たちがいます。
地元住民は彼らのあまりの無軌道さにあきれ、彼らが汚したフェンスを掃除したり彼らが捨てたゴミを片付けたりといった地味な活動を続けているようですが、彼らの無軌道ブリはどんどんエスカレートし、「人糞入り汚物」を米軍関係者に投げつけるなど、言論?行動の自由を超え完全に常軌を逸した犯罪行為になっています。

この異常な犯罪者たちに沖縄県警は注意もしないしましてや逮捕もしない。米軍の抗議にもほとんど耳を貸さないようです。
沖縄の政治・司法は一体どうなってしまったんでしょうか。

この基地反対闘争をしている人たちは定年退職後の60代70代の老人が殆どだということですが、どうやらほとんどが日教組の元教職員達だと聞いて驚いてしまいました。
元先生達の無軌道さを教え子たちはどう受け止めるでしょう。
学校で教員している間にもこのような激しい憎しみを内に秘めて子供達に接していたのでしょうか。

中国や韓国の反日教育を見ればわかりますが、子供たちは素直の教師の話を信じます。日本への憎しみ育てます。
日本を憎む彼らは、日本に来て文化財を破壊したり、施設を汚したりすることを「得意げに自慢する」そうです。
沖縄の普天間基地で犯罪行為をする元日教組の教職員は彼らと同じことをしています。
「私たちは正義のために戦っている」と誇りに思っていることでしょう。それは大きな勘違いです。

このような人々がいる限り犯罪者のいない国の復活は困難です。
道徳は規制ではありません。自発的な行動規範です。

憎しみや怒りを生み出すのは相手の言動や態度ではありません。
相手の言動や態度に接した自分が、それに対して思考し、思考が感情を引き起こすのです。
怒りや憎しみは「自分や自分の考えを否定されを傷つけられた」という感情的反応です。
怒りや憎しみを生み出すのは自分自身です。
この怒りや憎しみは自分を正しいと思うこと、そして相手が間違っていると考えることでいくらでも大きく育てることができるのです。ただし本人はほとんど気が付きません。

かつての教師はこのような怒り、憎しみ、自分さえ良ければそれでいいという利己主義を、恥ずかしいことであるとし、そのような感情を抑えるすべを教えていました。
それが教育だったのです。それが学問の基礎となる人倫だったのです。

自分の感情、特に怒りや憎しみ、嫉妬や強欲といった悪い感情をコントロールできない人は教師になってはいけません。子供を教える資格はありません。

普天間基地で自己主張を繰り返し「人糞まで投げつける元教師」は自身を恥じてください。
繰り返される「憎しみを植え付ける教育」、これは日本の教育ではありません。
中国韓国と同じレベルの反応をしてはなりません。彼らのように「自己中心的な思考」にとらわれてはいけません。日教組のような独善を身につけてはなりません。
日本は正しい教育を取り戻しましょう。

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