竹富島(町)の公民教科書採択問題を擁護する愚

沖縄のメディアが極左寄りの偏向報道を繰り返しているのは今に始まったことではない。
本土の左翼脳メディアと同じく反論することも出来るし発行する新聞を買わなければいい。
始末に悪いのはNHKなのだがこれも偏向番組を見なければいいのだが、「受信料」と称して払いたくない金を取られるのが癪に障る。
見たくもない反日番組の製作費に使われ、日本の国営放送として海外にまで流されることを思えば反対する手段のない庶民は涙が出る。

中学生の公民の教科書の選択で沖縄の竹富町が反日色を鮮明にしている。中学生はさぞ悔し涙を流していることだろう。
それにいつものようにおらが国の新聞が加担している。

「独自性を尊ぶ採択制度こそ必要」というこの新聞社は、奇天烈な行動やファッションを個性と勘違いして顰蹙を買う『未成熟な若者』レベルの判断力しかなさそうだ。
歴史的事実に『独自性』を求めるのは中国や韓国という未成熟な国民性のなせる業である。

竹富町は、石垣市・竹富町・与那国町の3市町村で構成する八重山採択地区協議会の決定した育鵬社の中学公民教科書を採用せず、東京書籍版の別の教科書を採択した。

社説では「無償配布の根拠となる『無償措置法』では複数市町村で作る採択地区の場合協議して同一の教科書を採択するよう規定している」と無償配布を受ける場合のみであるかのような書き方をしているがそれは欺瞞である。
法の趣旨は「同一採択地区では同一教科書を」というごく当たり前のことを規定していることは明白で、このケースで「無償で配布を受けなければ各市町村教育委員会に採択権がある」かのような論は通るまい。

それより何より、社説自体に在る「竹富町が選んだ教科書は、12年以降民間からの寄付金で購入し生徒に配布しており、家庭の経済的負担もなく教育現場も混乱していない」という文章には極左アナーキストのにおいが立ち込めている。
「民間」とは誰のことだ?経済的負担の問題なのか?混乱していない教育現場とは竹富町だけのことではないのか?現にこの問題が日本社会に波紋を呼んでいるのは混乱ではないのか?それでいいのか?

このようなことがまかり通るのなら「金さえ出してもらえば、いやそれ以上に余分に金をもらうのならあなたの仰る教科書を採択します」なんて事が起こりかねない。実際にやりかねない国がお隣に在る。

韓国・中国が馬鹿げた反日政策を止められないのは、国民に「歴史を偽り日本への恨みを植えつける」という学校教育を繰り返しているからです。これは教育ではない。学童・青年の人間性への冒涜・侮辱である
同様に日本人であることを密かに恥じている日本人が後を絶たなかったのは、教育現場で「歴史を偽り日本人にのみ反省を強いる」教育を繰り返したからです。

これまでは国民を欺けたかもしれませんが、「教育の多様化の理念に反する」、「各教育委員会の独自性を尊重する教科書選択のあり方」などという意味不明の言葉に、いつまでも騙されるほど日本人はおろかではありません。

日本において「歴史は事実」であり、教育は「人間性を磨くもの」であって、一部のイデオロギー信者の道具でもないし、「憎しみや恨みを植え付ける」ものではありません。

あえてもう一言云わせててもらえば「この問題の根幹は、教科書の質ではなく教員の質の問題」です。

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