部落差別といじめ

≪匿名≫

「部落出身者への差別は今でもあるのだろうか?自身の利益のために、その幻想を維持しようとする勢力が存在するのではないのか?」この疑念を表明するのはタブーなのだろう。

【小中高校などで平成22年度に、いじめを認知した件数は7万7630件となり、前年度比6・7%増で、現行の調査方法となった18年度以降の減少傾向から初めて増加に転じたことが6日、文部科学省の「問題行動調査」で分かった。 産経新聞より】

「いじめ件数が増えた」とあるが、生徒の自殺がセンセーショナルに取り上げられ世間の耳目を集めたことが増加の原因で、本当に増えたわけでなく表に現れる数がふえたのだろうと思います。

それでも驚くべき多さで、いじめをなくす取り組みに期待します。
だがそれより私に興味があるのは、「このいじめに『部落差別』が原因となっているものがどれほど含まれているのか」という点です。

学校教師の友人達に「本当にまだ部落差別があるのか?俺は自分の体験としてまったくないのだが」と聞くと異口同音「部落差別は今でもありますよ」と、まるで「無知で世間知らずのかわいそうな人」とでも言わんばかりの蔑むような目で見られたことがある。

しかたがないじゃないか「体験的な出会いがない」のだから。
逆のケースは多々ある。仕事上の事で、全く身に覚えがない「差別をした」と差別されたと主張する本人と町役場の人間が突然何人も押しかけて来た。話せば役場の人間たちはすぐ何も問題がないこと理解したが本人は不満顔。差別できるはずがない。その方が部落出身者なんてその時まで知らなかったんだから。

もう一つ仕事がらみで役場の入札に参加して落札した後、「ちょっと来てくれ」と言うので出かけて見ると、机の上に両足を放り投げてふんぞり返っている男が「もっと安くせえ」。周りの公務員はうなだれて下を向いている。どうやら同和のボスらしいが、あまりにあほらしくて「辞退させてもらいます」と言って帰った。ついて来た役人が「すみませんね」というので「役所は、入札で決まったものをその後こういう風に交渉するのか?」と聞くと何も答えなかった。

親父の友達がしょっちゅう家に来てワイワイ飲むことが多かったのだが、その中に部落出身者の人がいた。
このYさんという方が実に好人物で、色んな人が来る中では私の一番お気に入りだった。その家族の人達もとてもいい人たちだった。
ただ職場は「食肉センター」だったのでその辺が部落出身と何か関係があったのかもしれないが、私にとっては飲んで大ぼら吹く厚かましい連中のなかでは最も好ましい人物としか見えなかった。

当たり前すぎて気が付いていないかもしれないが、日本人は何でもかんでも文章にする「類(たぐい)まれな人種」である。書籍でも漫画でも日記でもなんでも書き残す。近年ネット上のブログは世界の他の国を圧倒しているはずである。
これだけ文章で記録をのこす日本に「部落問題」をテーマにした小説を私は2冊しか知らない。
私の無知でもっとあるのかもしれないが、島崎藤村の「破戒」と、住井すゑの「橋のない川」である。
これだけ長い間「問題視」されているにも拘らず少な過ぎはしないか?

明治38年に出版された「破戒」で、藤村は「部落問題はもう過去の問題だが・・・」と記している。同時に本を読んだ人も同じような感想を持ったようだ。

戦後出版された、住井すゑの「橋のない川」は大部であるが、この住井すゑ、戦時中は数々の軍部賛美の随筆や小説を書き、それらの作品で「戦争はありがたい」「マニラも陥ちたね、いや愉快」「神国日本は開闢以来無敵」などと書いている。
こ の事実を指摘された住井すゑ本人は、「ほほほ…何書いたか、みんな忘れましたね」「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくつあっても足りませ んよ」「いちいち責任取って腹切るのなら、腹がいくつあっても足りない」などと放言した。
この人物が書いたものを「真実と受け止める」必要はないだろうと思う。本人が「無責任」を自任しているのだから。

明治末期に「もうすでに解決済みの問題」と認識されていたものがなぜ今の時代まで続いて来たのか?
部落解放同盟はこれまで一体何をやってきたのだろう?
この問題を研究している人達の小難しい論文は多くあるのだろうが、心ある日本の文学者たちはなぜこの問題をテーマにした著書を残していないのだろう?

はたから見れば滑稽だろうが、ある武士は「自分が食ったものを延々と書き連ねた記録」を残しているという風に、どうでもいいような事まで書き残す癖のあるこの国の人間達が、部落差別に関する記録を残していないのはなぜだろう?

さて、もう一度最初の「いじめ」の問題に戻るが、この7万7630件の「いじめ報告」のうちに、部落問題を根に持つ「いじめ」が何件あるのか調べることは、部落問題を研究する上で大きな意味を持つはず。是非調べてその結果を公表してもらいたい。
(今でも部落差別があるというならなら、0ってことはないよね?)

同和教育を受けながらも、体験的理解ができない私のような者にとっては、貴重な体験的理解につながります。大いに期待しています。

コメント

コメント(2)

  1. 愚翁

    いじめは人間が社会生活を営んでいる世界中のありとあらゆるところ例外なくどこにでもあります。

    匿名様はいじめたりいじめられたり、差別をしたり差別をされたりした経験がない方とお見受け致しました。

    『部落差別』が原因となっているものもあるでしょうが、そのパーセンテージを調査する意味は少ないと思います。

    それよりも文部科学省の省内や学校の職員室の中にどれほどのいじめがあるかを調査する方が気が利いています。

    いじめは必ずあるものであって絶対に無くならないものであることを前提に、いじめをなくする教育や運動よりもいじめれれたり差別そされて立ち直った経験のある人を先生や教官にして、いじめに強い人間になるための教育やトレーニングをする事が望ましいのではないでしょうか。

    返信
  2. 匿名(投稿者)

    愚翁さんのおっしゃりたいことは良く判ります。異論はありません。

    ただ、学校は、南京虐殺を史実として子供達に教えています。
    学校は、従軍慰安婦も史実として子供達に教えています。
    学校は、日本が韓国を合邦した経緯を教えません。
    学校は、大東亜戦争の発端となったハルノートについて教えません。

    NHKは731部隊の人体実験まで史実であるかのように放映します。
    メディアは竹島を李承晩が勝手に韓国領に組み込んだことを教えません。

    戦後日本の社会は、占領政策によりGHQが左翼系識者をメデイア、法曹界、教育界党の中枢に重用したせいで、「何もかも日本が悪い」という歴史観に歪められました。
    私は同和教育もその一環で、かなり歪められているのではないかと思っています。いつまでも被害者を装うことで利益を引き出そうとする「韓国」と似たような構図ではないかと思っています。

    返信

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