フィリッピン 1997(4)

by ハッチョ

ホテルのテラスから見た夕日。夕日は何処で見ても美しい。
しかし異国で見る夕日は格別であった。
このテラスの下からダイビングスポットへ向けてボートが出る。
ダイビング客の世話をしてくれるスタッフは10代~20代前半と思われる若者達だが、彼らの仕事ぶりにはカルチャーショックを受けました。

客のヨギ隊11名に対しスタッフの若者が7~8名もいる。若い女の子も混じっている。
「随分多いな」と思ったが、ボートが走り始めたらその理由はすぐ判りました。

舳先で進路を指示する係り、真ん中あたりでひもを引っ張ってエンジン出力を調整するスロットル係り、後ろで舵を切ってボートを目的地に向ける係り、それらの間で連絡調整(伝声管?)の役割をする係り。後のスタッフも夫々何か専門の仕事があるようです。

日本でならボートの少し高い位置に操船キャビンを作りキャプテン1人で全てこなします。しかしフィリッピンでは、皆が助け合い協力して生活するという意味で、そういう日本式の効率一辺倒のやり方はかえって不道徳・非効率なのでしょう。

13年後の日本でやっとあの時の彼らの状況がよくわかります。隔世の感があります。
不況による就職難を解決し雇用機会を増やす為に「ワークシェアリングをしょう」という掛け声を聞くようになりました。

しかしすでに地域社会や家族関係が希薄になっている日本ではスムーズにワークシェアリングは出来ないでしょう。
仮にやったとしても、日本であの当時のフィリッピンの若者達のように陽気に仕事が出来るかどうか。農業でそういう試みがあるようですが、やはり日本は経済的に豊かになりすぎているので、金銭的にではなく情緒的豊かさに満足する暮らしに戻れるかどうかですね。

ダイビング予定地の小島。
右に少し見えているのが現地のボートです。

アニラオの若者は実に陽気で屈託がない。
仕事中でも少し手がすくと自分達でキャッキャと楽しそうに遊んでいる。
島での食事も彼らが用意してくれるのだが、カツオの焼いたのとゴハンがメインでどちらもパサパサ。
(日本の醤油が調味料として定着しているが、フィリッピンでは”キッコーマン”と言う会社名が醤油の意味で使われている。)

我々はあまり箸が進まない。食生活の違いもあるが彼らはそれを見越しているのか、残ったものを皆で囲んでで実においしそうに食べている。ちょっとしたパーティのようで、あまり箸の進まなかった客の方は恨めしそうに彼らを眺めている。とにかく彼らは私たち日本人より人生を楽しむすべを知っているのは間違いない。

そのことは同時に、相手を楽しませてあげようというホスピタリティにも繋がるようだ。

その夜、実に楽しいイベントを用意してくれていた。

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