沖縄ノート裁判

by 匿名

 沖縄ノート裁判は「集団自決は日本軍の命令であった」「原告らは軍命令として住民に自決を強いた」という大江健三郎氏の記述について、原告の元軍人とその家族が「軍の命令もない。原告が住民に集団自決をしいた事実はない」と言う主張の元で争われるべき裁判でしたが、随分変な議論になってしまいました。

 裁判の過程で相反する様々な主張があり、かつ「軍の命令の存在」は証明できなかった。「原告が自決をしいた」ことも証明できなかった。

 不思議なのは「軍の命令はなかった」それなのに「軍が関与があった」と言う表現。
一審判決文中の”沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決が発生しなかったことなどの事実を踏まえると、集団自決については日本軍が深く関わったものと認められる。”と言う部分である。

 「認められる」と書いてあるがこれはおかしい。「関与があった」とするなら「軍としてどのような関与があったのか」を事実を挙げて説明する必要がある。判決文にそぐわない雑な記述であると感じる。これではあくまで推測でしかない。(現にサイパンなどでは、軍の強制も関与もなく集団自殺が発生している。)
この雑さは「軍」を絶対悪、そして沖縄住民(のみならず日本国民もそうであったのだが)を軍に虐げられた一方的な被害者と決め付ける乱暴さから生じるのでしょう。

さらに不思議なのは、「軍の命令で集団自殺が強制された」と主張している大江氏らは、本来なら「軍の関与があったと認められる」という曖昧な判決表現にたいして、「はっきり軍が強制したというべきである」と主張するのが筋だと思うのだが、「軍の関与」というわけの判らない表現で自分達の主張が通ったと喜んでいる。これまた随分雑な方たちである。
 裁判は結審したが「軍の関与が確定した」と言う主張は万人が納得できるような代物ではない。いや意味がないというべきでしょう。

この裁判で原告側は主張が通らなかったという意味で「敗訴した」かもしれないが、被告側が「勝訴した」と喜べるものは何もない。

 それともう一点、この裁判を「表現の自由」の問題にすりかえようとする論調があるが、これも「軍の命令」を「軍の関与」とすりかえて「勝訴した」と喜ぶのと似たような行動である。
 表現の自由は守られるべきものである。なにを書こうが自由である。猥褻なものであれ、低俗なものであれそれを法律で縛ることは基本的にしてはならない。各自がその良し悪しを判断すればよいだけのこと。

 しかしこの裁判を「表現の自由の問題」にするのは全く間違いである。原告は「記述が間違っており名誉を毀損しているから訂正しなさい。謝罪しなさい」と要求しているので表現の自由を否定しているのではない。
そして、表現の自由と言う原則があるからこそ「沖縄ノート発刊当時、隊長命令説が通説といえる状況であり”真実相当性”が認められる」という執筆者擁護論が一応は理解できる。

 しかしそれはとりもなおさず「今となっては通説に惑わされた誤った記述」と言われているに等しく、自分の著述に”真実相当性”などを持ち出されるような状況にいたれば、言論人としての良識をもって反省し必要なら訂正・謝罪をする度量が必要なのではないかと思います。

(謝っちゃえば良かったのに。でも「軍の強制による集団自殺が証明されて強く励まされた」なんていってるようじゃとても無理か。)

コメント

コメント(1)

  1. 元出版会社の編集者

    古くはジンギスカン、ヨーロッパの諸国がアフリカ、アメリカ大陸、アジアの諸国にした戦争は全て恥ずかしいものであります。
    第一次・第二次世界大戦でも日本は大恥になることしかしていません。
    しかしながら、そんなこんなが無ければ私はこの世に生まれてこなかったので、それらを評価するすべは持ち合わせません。

    例えば大江健三郎さんや山崎朋子さんのように、少なくとも日本の恥を書いて『飯のねた』にした小説やノンフィクションは私個人としては本を買う気にも読む気にもならないのですが、私と同じような方がいらっしゃいましたら、コメントをお願い致します。

    返信

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