COOLジャパン

その昔少女漫画を見てその男子漫画と異質の内面描写レベルの高さにビックラこいた。40年近く前だ。
最近大学を卒業し社会人になった娘が再び同居するようになって、少女漫画と若い女性向けの文庫本を大量に買って帰るようになり、ちょっと拝借して読んでみた。

本屋に入ってもおっさん一人ではこの手の本には手が出せない。
娘が読み終わったのか、ピアノの上にぽんとおいていた文庫本を何気なく読み始めたのだが、かつての少女漫画を初めて読んだ時のカルチャーショックが蘇ります。

谷瑞恵著「思い出の時  修理します」
地方の小都市。忘れられたような商店街と主のいない神社。
子供の頃の思い出に惹かれて偶然その商店街に住むようになった若い男女二人の周りに起きる、日常的に見えるが「砂時計を逆さにした途端に時間が逆方向に流れ出したかのように、それぞれの過去の記憶に関わる訪問者と紡ぎ出す物語。

短編一つ一つが独立した美しいファンタジーでありながら、一つ一つのエピソードが二人の過去を浮かび上がらせて、過去を語ることが未来を生み出してゆくような短編でも中編でもない物語。いや短編でもあり中編でもある物語。
恋のファンタジーという分野において男は女に勝てやしないのだろう。

しかしこの日本の語り部たちが紡ぎ出す物語、本に限らず漫画、アニメ、ゲーム、映画の多彩さ。
そして商業ベースではなくとも普通の人たちが日々書き綴る膨大なブログ。

こんなに文章を書く事が好きな国民は世界中どこを探してもいないのではないだろうか?
きっと思考を論理的に正確に記すことも、言葉にできぬことを言葉で表す詩にも、小説・随筆で複雑な時制や心理の彩を描くことができるのも、豊富な語彙と敬語と、表意文字の漢字と表音文字の仮名を併せ持つ、自由度の極めて高い日本語が日本人を「文章を書く人たち」に育ててきたのでしょう。

 

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