2012年7月

埼玉県の大人「いじめ」事件

《BY WEBラジオ》

子供社会の「いじめ」が大きな問題になっているが、大人になってもやはり「いじめ」はある。
埼玉で「いじめ」を受けていたと思われる33歳の男性が他殺体で発見された。「警察に被害届を出していたのに殺された」異常な事件である。
大人であれば刑事罰の対象になるので、いじめられる側にも警察に訴えるという対抗策はあるのだが、その警察が本当に市民の味方かどうか、埼玉の事件は大きな問題を提起している

昨年松山市で起きた事件だが、ある介護職の女性の訪問先である老人宅に、その介護職の女性の夫が訪れ、暴力を振るった。認知症の老人の前で妻を殴る蹴るの暴行はもとよりどうやら刃物も持ちだして暴行したようだ。現場に血溜まり多く有ったらしい。

結局被害に会った女性は近くの駐車場まで逃げ、倒れていたのが発見された。入院先に尋ねたら、顔は殴られて晴れ上がりアザだらけ、指も切られ包帯でぐるぐる巻きの痛ましい姿。
暴力を振るった夫は「精神的におかしい。鬱病じゃないだろか」といわれていたようであるが、この事件の後の警察の対応はひどかった。

暴力を振るった夫が「入院先を訪ね暴力を振るうかもしれないので病院に注意するようにて言ってくれ」と警察に頼むと「必要ならする」と木で鼻をこくったような返事。
仕方がないので病院に行き婦長さんに訳を話し、特別に名札を変えてもらって本人とわからなくした。案の定病院に二人連れの男が来て病院内を調べまわったらしい。

夫の住所・連絡先は全部分かっているので「すぐ調査してくれ」というと「あんたらの指図は受けない」
その代わり次の日、介護事業の責任者が警察に呼ばれ丸一日事情聴取を受けた。
何で被害者側ばかりに負担をかけるんだ?夫は調べたのか?先に調べろよ!

警察の言い分は、被害者である妻が「刑事事件にする」「告訴する」と意思表示しなければ動かないということらしい。
食い下がろうとしたら「警察は色んな事件を抱えて忙しいんだ」といわれてしまった。
これは妥当な判断なのか?家庭内暴力や幼児虐待そして「陰湿ないじめ」の場合でも、「被害者が助けてくださいと警察に文書カなにかでお願いしなさい」と言ってるのでしょうか?そうすれば本当に助けてくれるのか?

埼玉県で川島一郎さんと言う方が他殺死体で発見された。
この方は「2人組みの男に複数回殴られた」と5月に埼玉県警西入間署に被害届けを提出していたという。
5月に被害届を出した男性をなぜ警察は守れなかったのか? 何らかの理由で守らなかったのだろう。 でなければ殺されるような事態が起こるはずがない。
入間署は「川島さんは詳細な説明を避ける様子もあった」と発表しているようだが、あやしい。すでに自分たちが追及されることを恐れて予防線を張り始めているのだろう。
埼玉県警は本当のことを話さないだろう。大津市の教育現場と同じでしょう。

大人の社会でも「いじめ」はある。しかし警察が真剣に取り上げなければ子供の「いじめ」よりさらに悲惨な結果をもたらす。
大津市の「中学生のいじめ自殺」で学校・教師・教育委員会・警察は責任逃れに終始した。
この埼玉県警西入間署は、大きな問題を抱えているに違いない。被害者は「2人組みの男にズーット暴力を振るわれて”いじめ”られている。何とかしてくれ」と大人社会のルールで救いを求めたのだ。
結果的に警察はこの「いじめ」を防げなかった。おそらく防がなかったに違いない。市民の被害届を無視した警察の犯罪行為である。これで又国家権力である警察と戦わなければならない遺族が増えてしまった。

埼玉県警西入間署の犯した罪は大きい。だが「一体誰がこの警察の犯罪という闇の真相を晴らせるのだろう?」と考えたときまことに憂鬱な気持ちにならざるを得ない。

白旗挙げた橋下市長を見習う

≪BY KEI≫

やっぱりこの男は面白いわ。
文春のコスプレ不倫報道に「白旗です。家庭大変なんですよ。娘に制服着ろって言えなくなっちゃった」

これだけ公衆の面前、テレビで堂々と白旗掲げて嫁さんに謝られちゃゴシップ書いた方も苦笑せざるを得ない。
とても真似できない。ここまでくれば一種の人徳と認めざるを得ない。

おいらも白旗挙げようか。
橋下さん、間違ってもいいや、どんどん好きにおやりなさい。あなたの力はいずれ国家の為に必要でしょう。

もう少し、在日外国人への理不尽な優遇政策を勉強してください。大阪をたてなおすにはおそらくこの問題は避けて通れないでしょう。また解決するのもあなたしかできないでしょう。頑張ってください。

証拠捏造警察官に甘い判決

≪BY WEBラジオ≫

強姦罪に問われた事件の証拠品である「タバコの吸い殻」をねつ造した刑事課長と係長に大甘判決。
ねつ造した大阪府福島署の刑事課長に懲役4ヶ月、執行猶予2年。同課係長に罰金20万円。

裁判長は、証拠品の紛失に気付いた2人が、府警本部による総合監察が間近に迫っていたことなどから、「煩わしさから逃れるため犯行に及んだ」と指摘。

これは「アカン!」
こんな体質の警察に罪に問われたら被告人はたまったものではない。
罪に問われた人間の一生を左右する大問題である。証拠を勝手にでっちあげられたら一般人には対抗しようがない。冤罪事件の犠牲者にされる可能性がいつだれの身に起こるか判ったものではない。

この判決に、警察の身内をかばう体質が現れていないのか?
このような犯罪こそ「裁判員裁判」で審議されるべきだと思うのですが、ひょっとしたらそこにも警察の意向が働いているのでしょうか?

市民団体という表現は使わないでください

≪BY KEI≫

新聞等でよく使われる「市民団体」という表記は止めてくれないかな。あれは「一般市民」ではない。それが分かっていて「嘘」を書いてはいけない。「嘘つきは泥棒の始まり」ってお母さんが教えてくれたでしょ!

「基地反対」「原発再稼働反対」「オスプレイ搬入反対」と何でもかんでも、「〇〇に反対する市民団体〇〇人(主催者発表)が集会に参加」と、さも「一般市民」が集まったように書いているのだが、あれは「共産系市民」とか「利権者の集団」「選挙活動員」とか、若しくはその寄せ集めです。

沖縄基地反対活動家も県外から大挙しておしよせる。私の友人も他県の原発再稼働反対デモに主催者の用意した「バス」にのり団体で参加する。

それに加えてこのような「市民団体」のデモでは、新聞は「主催者発表」と”動員数”を(かなり水増しされた数字)を記事にするのであるが、「主催者」の名称は一切発表されない。主催者がいるんだから書けばいいのに。

先日、朝日新聞が「東京都に尖閣上陸許可は出さないと政府高官が述べたが」と石原知事に質問し、知事が「政府高官。出所の判らない話で質問するな!」と記者をたしなめていたが、全く同じこと。

「市民団体」という表記は(さる政府高官なんて言葉も)マスコミは使ってはなりません。許しませんぞ!

オスプレイ配備は米の権利

《BY KEI》

在日米軍の軍備は安保条約で米軍に選択権がある。オスプレイ配備を止めるには日米安保条約を破棄しなければならない。これがまず基本である。

オスプレイは反対派が行っているように本当に危険な事故の多い期待なのでしょうか?
オスプレイは見るからに操縦は難しそうであるが、見かけで判断してはならない。

オスプレイには空軍使用CV22 と 海兵隊使用のMV22がある。
事故率は10万飛行時間に南海事故を起こすかと言う形で数値化されるが、CV22は13,47、これは事故が多いといわれている垂直離着陸機ハリアーの6.67の倍だから確かに多い。
一方MV22は1.93と他のヘリコプターの平均4.15よりかなり低い。
海兵隊所属航空機(ヘリを含む)の平均2.45よりもかなり低い。

よく映像で流されるオスプレイが地上間際でコントロールを失い地面に激突する映像は「開発中の試験飛行」時のもの。飛行機の開発、特に軍需用の戦闘機などには普通にある話。

しかしこんな話「反対派」の人たちには何の説得力もないでしょうね。
「事故の確率は0じゃない。だから危ない。配備反対」
「事故が多いから」と論陣を張っておいて「事故が多いかどうかなんて関係ない。0じゃないのが問題」といい始めるに決まっている。
それならば、日本中の空港を「国外、最低でも県外」へ移さなければならないはずなのに、なぜかそこまでは知恵が回らないようです。

「日本軍は組織的に中国人を大量虐殺した」といながら、証拠がないとなると「いや数が多いかどうかの問題ではない」といいはじめる。軍の命令もないと判ると「軍の関与が疑われる」と新たな物語を作り始める。

つまりこの人たちは「軍国日本は悪い事をしたに決まってる。なぜなら被害を受けたほうが受けたといってるから間違いない」と主張する人たちなのです。
そして「被害を与えた悪い日本人」がいたが、「私達はそれを糾弾する正しい日本人」だといっているのです。

自分を正しい日本人と見てもらうために「極悪非道な日本人」がいなくては自分達の正しさが証明できなくて困る人たちです。

事のついでに「普天間基地移設反対」運動をしている人たちにも一言。
普天間基地周辺に住宅地が多いから「基地をなくせ」と言ってる人たちが、「小学生だけでも安全なところで授業を受けてもらおう」と小学校の移設をしようとしたら、反対派の人たちは「基地反対のシンボルがなくなる」と移設に反対しました。
彼らにとって「危険だから」と反対しながら、自分達の運動の方が大事で「小学生の命」は「いつか犠牲になってもらった方が自分達の主張の正しさの証明になる」と考える道具でしかないようです。

辺野古移設には環境破壊まで持ち出し反対しています。では人命と環境破壊の二者択一ならばどう考えるのでしょうか。
彼らの意見は「基地さえなければいい」と言うことなのでしょう。
日本の国防・国益と言うものには目もくれない理想主義者ともみえますが、それ程の理想主義者の皆さんであるなら、まずその主張をする前に中国・ロシア・アメリカに向かって「あなた達愚か者。核兵器を含む軍備を全廃しなさい」と主張するのが先だと思うのですが、それをせずに「日本だけ軍備をしてはならない。日本が軍備をしなければ戦争は起こらない」というご宣託は、私には詐欺師同然の作り話にしか聞こえません。

明の上奏文に「尖閣は琉球」

≪BY WEBラジオ≫

中国が領有権を主張し始めた尖閣諸島が実は明の時代から「琉球王朝に所属する」と記された中国側の資料が見つかった。もっとも今の中国は明と何の関係もないのだが、彼らが理不尽に「明代から我が国の領土」と言い続けた主張が完全に覆されました。
----------------------
産経新聞 2012/07/17 10:13
尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。
中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。
このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。
界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。

加速して落ちる日本で「いじめ」は続く

《BY WEBラジオ》

何度も同じ問題が繰り返される。普通の社会ならありえない。
日本社会の堕落が加速しつつあるとしか言いようがない。

もし日本が安定した状態なら、一般社会であるならいざ知らず「教師」という職業人が管理する「学校」という閉鎖社会で、これほど同じ問題が繰り返されるとは思えない。
よしんば一定の割合で堕落・低落しつつあるとしてもそれは一種の安定状態で、悲惨ないじめを防止することくらいはできそうだ。

教師は大学を卒業して40年近く教職にあると仮定すれば、過去の「いじめ問題」の経験・知識は蓄積され維持されるものと期待します。
そのような経験を持つ教師の存在は「いじめ」の繰り返しの防止になるはず。

しかし今回の大津市の「いじめ問題」で、再発防止に責任があると思われる教師・学校・教育委員会・警察等の対応は、過去のケース以上に隠蔽・ごまかし・責任逃れに終始している。
見る者聞く者の心に抑えようのない怒りを生じ、深い傷を与えている。

もはや、彼らは「加速しつつ堕落しているに違いない」と信じざるを得ない。
偉そうな事をいうつもりはない。
それは私を含む日本社会全体が「加速しつつ堕落している」という事なのだから。

彼らのコメントには、「自殺した生徒の家庭の問題」を匂わすようなものがある。
部外者には知るよしもないが、いずれ明らかになるだろう。

家庭に少々の問題があろうとも、13歳の子供が簡単に死を選ぶとは思えない。
いや、もし「家庭環境に問題がある」と認識していたのなら、彼らは当然救いの手を伸べる立場にいたはずの人達で、それをせず可能性をあげつらうとは精神的に未熟すぎる。
このような事件を見ると、もはやこの社会は救いようがないのかと思ってしまう。

一体日本社会で何が崩壊しているのだろう?
かつてテレビが登場した時「一億総白痴化」と警鐘を鳴らした大宅壮一は今の社会を見通していたのだろう。
テレビが家庭に登場し、自分で深く考えることをしなくなった日本人は、NETの登場でさらに受身になり、ネットやテレビで垂れ流される情報をまるで自分が考えたかのように身内に取り込んだ。

だがそれはあくまで借り物に過ぎない。借り物の思考の中で、無自覚な自我(エゴ)が肥大化している。
エゴは致し方なく浅ましいものである。そのエゴを自分自身と錯覚して事に当たって右往左往しているのが今の人間である。
日本人みんなが「自分」を見失い、だからこそ「自分探し(の旅)」などと大の大人が平気で口にする時代となった。

人間とは、本当の自分とは、本来もっと気高く高貴なものである。
目を背けたくなるような浅ましい自己弁護とは無縁のものである。
本当の自分は、「いつか、どこかで、なにかをなしとげれば手に入る」 といった性質のものではない。

「自分」 という 「生命、いのち」 をもっと真剣に見つめなければ得られない。
そうしたからと言って必ず理解できるものではないが、エゴはずっと小さくなるはずだ。

日本だけなのだろうか?
そんなはずはない。ネットで瞬時に結ばれる世界で日本だけが独自に動くことなどありえない。
日本の政治が停滞しているといわれて久しいが、後を追うように先進国の政治状況はどんどん日本化している。
高齢化もデフレも、今や未来の世界の姿は日本が世界に先駆けて現実化していると見た方が良い。

だとすれば、この混迷からの脱却も日本がいち早く実現するだろう。
150年前、世界に目を向け瞬く間に世界を追いつき、70年前一度は挫折したものの脅威の努力で世界トップに追いついた日本である。
日本が発展するその源泉は国民性にある。
日本にはそれほど素晴らしい精神文化としての遺産がある。
今、日本人・一人一人が、日本の精神文化を見直さなければならない。