カラクリ箱の中の日本 新聞編

日本の大新聞はトップ記事がほとんど横並び。
今日のトップはロンドンで開かれたG7について「通貨安競争回避で合意した」というもの。

でもサブの見出しが「円安批判でず」とか「円安に批判なし」(と麻生氏発言)というものですが、私にはどう見ても、

「円安に批判が出ませんでした。とてもおかしいです。なぜでしょう?」
「世界の皆さん日本の円安を何故批判しないのですか!」

と言ってるようにしか見えません。

まあいつものことですから何も驚くには当たりませんが、
「閣僚が靖国参拝しましたよ」
「教科書から侵略という文字が消えましたよ」
「在日米軍基地の最新兵器配備を日本政府が認めますよ」

これらの新聞社の報道は誰に向かって語りかけてるのだろう?

日本の戦後は帝国主義から社会主義への反動の時代である。
社会主義への反動といっても米軍占領下だから革命など起こるはずもないのだが、しかし多くの知識人が社会主義・共産主義へ「転向」したのは確かだ。

GHQは戦前日本の復活を恐れた。
そのため日本的なものを根絶しようと日本のあらゆる権威において「左翼又は左翼転向者」を要職につけた。一番顕著だったのが教育界(最高学府)と法曹界。

この効果は絶大で、戦後しばらくすると、大学からは左翼に傾倒した知識人予備軍が次々と社会に出てゆく。新聞社にも就職する。法曹界にも進出する。
やがて知らぬ間に日本の大新聞社は「左派反戦平和主義」に宗旨替え。

このような新聞社の変身・宗旨替えは従順な日本国民にあっという間に伝播します。
いや宗旨替えは結構なのだが、多くの日本人が宗旨替えにあたって左傾新聞の影響を受ける。
まず「左翼思想=反戦平和主義である」という根拠のない形を無条件で受け入れます。
私は平和主義の社会主義国家を見たことはありません。

そしてこの二つを結びつけたことがさらに日本独自の問題を生み出します。
社会主義革命はブルジョワジーへの憎しみが原動力で、非社会主義者への反省・総括の強制が教育手段です。
社会革命の起こりようのない日本で「社会主義への憧れ」が大きくなった時に「権力の否定と自己否定」という社会主義的社会改革の手法だけが取り入れられたのが「日本の自虐史観」の発祥ではないかと思っています。

日本人はもともと内省的なのですが、戦後の自虐史観は度を越しています。
戦後の反戦平和主義と社会主義が大きく影響していると思います。

ところがこの自虐史観の大部突は徐々に変化を起こします。

「自分たちは戦争に批判的であったが国家権力で抑圧された被害者である。だから反省を素直に受け入れる善良なる日本人だ」 と言わんばかりの論調に変化し、それは必然的に「自虐史観に否定的な人達」を「反省しない好戦的な戦前の罪深い日本人」として蔑み攻撃するのです。

彼ら「善良なる日本人の戦争責任への反省」は過度に中国と韓国に配慮を生みます。
自ら歴史を捏造してまで中国・韓国におもねる日本人がマスコミを筆頭とする日本社会の中枢に増ええてゆきました。
深刻なのは教育界で、学校教育の中で子供達に「中国・韓国の歴史認識」を植え付けてしまったのです。
彼らは「平和・人権・平等・命を守る etc・・」といった上っ面な言葉で、人を攻めることで劣等感を癒し、新たな差別を生み出し自己保身を図る「偽善者」に見えます。
政党・政治家も、恥知らずな観念的ポピュリズム政策に終始しました。
後世1950年代~2012年までは「日本の屈辱の時代」と呼ばれるでしょう。

今自民党安倍政権のもとで「歴史認識問題への挑戦」が始まろうとしています。
インターネットの世界ではすでに膨大な「歴史認識問題」への問題提起と「真実の歴史主張」が活発になっています。

遅まきながら新聞社の論調も徐々にではありますが変化を起こし始めています。
2013年は「日本復活」へ向けた再スタートの日と呼ばれることでしょう。

コメントする

投稿前の注意

  • 他の人に不快感を与える投稿や誹謗中傷するようなコメントはおやめください。
  • コメントを投稿する前によく読みなおして投稿しましょう。





トラックバック

この記事へのトラックバックURL
  http://www.uwabana.jp/zenkoku/wp-trackback.php?p=5768