格差社会

by KEI

中東でネットで呼びかける「ジャスミン革命」が起こったと思ったら、今度は先進諸国まであやしくなってきた。

中東の民衆暴動は、永年にわたる独裁政治に反発したものだが、やはりその根本原因は”一部特権階級”への反発と彼らによる”自由の抑圧”。これは全くいわれのない不当な差別で反発するのは当然。その行動にNETが大きな武器となり独裁国家を解放しつつある。

一方、先進諸国は失業や低所得に不満を持つ若者たちの”格差社会”への反発といわれている。
しかしよく考えてみると先進諸国の”格差”も一部特権階級が存在する事が原因。そしてその格差が人生の自由度を大きく左右することへの反発が暴動につながっている。どうやらこの”流れ”には共通点があるのではないか。

共通点は「平等を求める」こと。一昔前は平等を求める運動は社会主義・共産主義と言うイデオロギーの元で巻き起こったが、現在はイデオロギーのない「平等獲得運動」のように見える。しかし平等が本当に絶対的価値なのか疑問に思います。

アメリカでは一部富裕層の「グリード(強欲)」が槍玉に挙がっているが、本来人間は強欲な存在。そのエネルギーが社会経済を発展させてきた面もある。
またかっては身分制度というどうにもならぬ格差があったが、今はその身分制度は殆どないに等しい。その代わりかっての身分制度ではなく、「富の偏在」と言う格差が固定化しつつあるように感じられる時代なのでしょう。

情報伝達のスピードが格段に上がったNET社会は、誰もが世界中の情報を瞬時に手に入れることができる。今彼我を見比べ、自分の身に格差が生じていることがすぐに判る。これまで見えなかった自他の物質的格差がリアルタイムで見えてしまう社会は、被抑圧層に欲と不満を撒き散らしているように見える。

でも本来社会は格差・差別(区別)があって当たり前。その格差を埋める努力が人生であった。
しかも「人間の幸せはその物質的な格差で左右されるものではない」というのが賢者達の教えでもあったはず。

差別というと無条件に悪と決め付ける人がいるが、差別はなくならない。しかし不当な差別はなくさなければならない。
格差も同じ、格差はなくならない。しかし不当な格差はなくさなければならない。
ただ人間の欲をかきたて不満をあおるNET社会の在り方を、いま世界中のみんなで考える必要があるのではないでしょうか?

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